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Thinking Time

褒める叱る認める

先日、

「褒める」についての考察

という投稿をしました。

その数日後に私が言いたいのは、
「褒める」の有用性ではなくて「認める」ではないかと思い直しました(笑)

こうしてコロコロと変わる自分を自分で楽しんでいます。

今年に入ってよく言われるのが、

「解決策の引き出しが多いこと」
「その一つずつが常識に囚われず柔軟であること」
「選択肢を与えてくれる」
「とても親切な人だと感じる」

といったようなこと。

これ全て私がそうありたいと思ってやっていることではなく、
元々持っていたものが人前に、わたしを構成する前面に出てきただけだと感じているのです。

人はそれも努力の結果だって言うけど、
特に努めて力を出した記憶はありません(笑)

当たり前に自分が持っていることが強みだっていろんな啓発本に書いてありましたが、本当にそういうことなんですね〜。

と、気付いたところで「認める」を意識して会話の中に入れてみるようにしました。
すると相手の満足感が、褒めた時より上がっているぞ?ということにも気づきました。

これは私にとっては何とも面白い実感です。

たとえばよくいう「共感」する。ってこと。
これは私の特性(アスペルガー)から考えてもかなり難しいことです。

私はしばらく「共感」するを勘違いして捉えてました。
泣いている人がいたら私も泣いてみる、ってことが共感だと思っていたのです。

相手の不運を慮って共感して泣いているわけではなくて、
自分の経験した悲しいであろうことを思い出したら、
「泣く」こと自体はできるんですよね。
(みなさん今度やってみてください、女優さんじゃなくても、
本気でその感覚を思い出せばどなたでもできると思いますよ。)

でもこれって相手の役に立ってるでしょうか?

私が一緒に泣くことが何になりますか?
みんなの言う「共感」って何だろう?
共感してあげる、っていう言葉もなんだか好きじゃない。
「してあげる」って何だ・・・押し付けじゃないか。

もしや、「共感」ってしなくてもいいんじゃないかな?

ってある日、気づいたんですよね。

こんなことを言うと、
「え!先生あんなに親身に聞いてくださってたのに?!」
って言う方もいらっしゃるかもしれませんが、
そうなのです。私は実はもう「共感」はしてないのです。

それでも私に相談事を持ちかける方はたくさんおられ、
相談に乗ってから数ヶ月後には「ありがとうございます!おかげさまで・・・」という報告を聞くのです。

時には医師たちからの相談にも乗っています。
たくさんの人の悩み(課題)と解決法、そして結果が私に蓄積されていくのが私は楽しくて仕方ありません。

褒めるでもなく叱るでもなく認める。を実践中です!


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